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なにこれ・・・??

なにこれっ!?



ウプターラユマタ島‐Tプロダクトのあるハイビスカス通りには、こんなオブジェがあちこちにあります。
なにこれっ!?
馬車の車輪説とか船の舵輪説とか諸説ふんぷん。途夢@Tomも、絶対これは横浜の馬車道のパクリだと思っていましたが、ハイビスカス通りと呼んでいる下里大通りの歴史資料を探していたら、このオブジェの由来がありました!!以下、宮古毎日新聞さんの資料を参照させていただきました。

sharin3.gif昔の通り名は、馬車道(ンツ)。
現在の下里公設市場が無かった敷地は、ワーマツ(豚市場)と呼ばれた。下地、上野、城辺の三地区などから荷馬車で豚などが運ばれ、豚市場の商人らに引き渡された。
大勢の住民らが訪れ、豚や解体された豚肉、米や麦などの五穀、野菜類、かつお節など買い求めて活気付いた。通りは、豚市場と農村を結ぶ幹線道路の一つだった。
豚市場に東西南北から大勢の人が集まると、必然的に人を運ぶ乗合馬車が必要となった。それに目をつけたのが、通りに面した場所で暮らしていた垣花恵規だった。自宅は、現在恵子美術館が建つ敷地にあった。恵子さんは恵規の孫。
恵規は、牛や馬を買い取って売りさばいたり交換したりする仲買人、馬喰(ばくろう)の仕事をする傍ら、乗合馬車運営に乗り出した。馬の扱いが上手な男を雇い、その男に乗合馬車を任せた。
自宅前の道路を挟んだ所に乗合馬車停留所はあった。恵規の乗合馬車は、平良-下地間の路線で運行。別の乗合馬車経営者は、平良-上野間、平良-城辺間を結ぶ路線で運行を展開した。
乗合馬車を主に利用した客は、下地など三地区の住民たちだった。馬車道の路面がでこぼこのため、乗合馬車の鉄輪(かなわ)はガラガラと音を立てた。その音が出発・到着時間をしらせた。恵規の長男、恵蔵さん(74)は「イーザトの料亭で、夜酒を飲んだ下地地域の人たちは、乗合馬車に乗って帰っていた」と父が語っていた言葉を思い出す。
時を経て1950年、乗合馬車停留所があったそばでオリタ商店(折田喜作経営主)が創業を始めた。同商店の効果で、通りはにぎわいを増し、近代的な商店街へと発展。後に、同商店は、県内最大手スーパー、サンエーへと飛躍的発展する。

ウプターラユマタ/高校生たちの通学路

通りのほぼ中央にある十字路を、方言名で「ウプターラユマタ」と呼ぶ。現在の行政の呼び名は大三俵(オオミタワラ)十字路。昔は荷馬車の物資輸送や大勢の人の行き交いでにぎわった。
ユマタ南側に広がっていた畑では、五穀(米、麦、粟、豆、黍または稗が豊作に恵まれた。荷馬車が五穀をたくさん積み込み、各地へ輸送。ユマタは俵の集積地の一つだったのか。
戦後は、水産高校や農林高校の生徒たちの通学路となり、四つの隅は若者や買い物客たちの待合場所、憩いの場でもあった。


以上、宮古毎日新聞記事より





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